オンライン個別指導Reclaimが出来るまでの話①
僕は2000年10月15日に生まれました。両親は一度流産を経験していたのでとても嬉しかったそうです。その後僕は一人っ子として成長しました。親戚はみんな同じ地元に住んでおり従兄弟とも10歳ほど離れていたので、全員の愛情を一手に引き受ける形で、大事に育ててもらいました。 (両親以外には怒られた記憶が無いくらいです笑笑)
生まれてから僕と出会う人には本当に恵まれていると感じています。 一人っ子として何不自由なく生活でき、学校や塾でも親身になってくれる先生にしか出会いませんでした。
そんな中で僕は小学生の時に初めて将来の夢を持ちました。それは、警察官になることでした。小学校の正面に県警が合ったことも大きいと思いますが、みんなを守りたいとものすごい正義感を持っていた記憶があります笑笑
当時から僕は塾や学校の先生達からは初めての人ともすぐに仲良くなり、率先して物事に取り組める子だと生活面ではよく褒められていました。実際学級委員や生徒会等の活動には小中高と大体は所属していました。
しかし、勉強だけはめちゃくちゃ嫌いで、授業態度や生活態度は良いのに、成績は悪いという形で高校生になりました。当時「警察官は勉強できなくてもなれるから大丈夫」と思っていました。
そんなこんなで高校生になった時に人生の転機が訪れました。きっかけは1人の女の子に一目惚れをしました。(Aさんとします) もちろんAさんとは初対面でしたが、なんとAさんのお母さんとは知り合いでした。そのため偶然にもすぐに仲良くなりました。(しかしその後それが原因で告白できずに3年間想いを伝えられないまま卒業してしまいました...)
元々僕は警察官になるため剣道部に入ろうとその高校を選んで入りました。しかし風の噂で当時仲の良かったAさんが剣道部に入部しようとしていると聞きました。その瞬間僕は絶対にAさんを叩けないと、入部を辞退しました。その後Aさんは吹奏楽部に、僕は担任に勧められなんとなく合唱部に入部しました。(女子しかいなくて1年で退部しました)
そのことによってなんとなく警察官の夢は無くなりました。その後はなんとなく高校生活を送っていましたが、ある日友達からイベントに誘われました。それは「高校生のビジネスプランコンテスト」でした。 いやいや参加しましたがいざビジネスプランを作って見ると楽しく 「やるからにはとことんしてやる」と意気込んでいました。
その時に考えていたプランは、早朝に高齢の農家さんが産直や市場までに農作物を運ぶ物をタクシーが代わりに運ぶというサービスでした。根拠や実現性を示す為にタクシー会社や車関連の業者に問い合わせていたほど、本気で作りました。しかし担当の先生達に見せると笑われてしました。その時の理由等は覚えていませんが、泣く泣く諦めました。しかし、そのビジネスプランコンテストが終わった数ヶ月後ニュースで岡山県のタクシー会社が作ったプランと同じ内容で実施するという事を知りました。その時に悔しいという感情よりも起業したいという気持ちが芽生えました。
その後学生起業家の集まりやビジネスプランコンテスト優秀者の集まりに参加したりとイメージを掴みました。