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講師のブログ・Q&A

  • 男性の講師です
    東京都世田谷区
    41歳
    米ハーバード大学大学院/東京大学大学院 Harvard Graduate School of Education/ 東大人文社会系研究科

ハンドルネーム:HGSE2020さんのブログ

理想の教師&医者モデルと保護者さんとの関係

●「傷ついた癒し手が、生徒や他人を癒し成長させることができる」という考え

少し難しい話というか、面白くない人には面白くないかもしれません。
キーワードは、wounded healer です。「傷ついた癒し手」と訳されます。ヨーロッパでは有名な言葉ですね。アメリカでもインテリさんは結構使います。

そしてこれが、教育や医療の最近のキーワードになっています。

●昔は優れた教育者や医者は、傷ついた癒し手だった

エスクラピウスという神様をご存知でしょうか?この神様はギリシャの、癒しの神様です。そして、昔の(ギリシャの)医者は、このエスクラピウスに仕える、祭祀でした。彼らが考えていたのは、「患者を治すことができるのは治療の神だけであり、医者にできるのは、患者の側に、治療の神様が現れやすい状態にしてあげることだけだ、助力することだけだ」と言うことでした。つまり、自分が治してあげるなどと言うことではなく、患者が治るお手伝いをすると言う考え方でした。

そしてあの有名なソクラテスや、超一流のギリシアの哲学者たちも、そのように信じていました。つまり、完全無欠な自分が生徒に何かを教えてあげるのではなく、生徒が真理を追求しようと言う気持ちになるように、生徒の中にもともとある、成長したい、物事を知りたいと言う気持ちを「活性化させる」手法を採用しました。採用したどころか、心の底からそう信じていました。

このときのポイントは、少し難しいです。医者の中には患者の部分があると想定されます。そして患者の中にも医者と同じ部分があると想定されます。これは不思議ではありません。医者も怪我や病気の痛みはわかるし、患者も、患者も、自己治癒力を持っているので、体そのものが医者の機能を備えています。

そして教師ももともとは生徒でしたし、生徒の中にも、成長したい、学びたいと言う部分があります。この時、医者は自分の中で傷ついた部分を患者に見せるわけです。つまりある意味で患者として振る舞うわけです。そうすることでそれに対応して、患者の中の医者の部分が活性化され、患者があたかも医者であるかのように、傷ついた部分を直そうとします。それと同じように、教師も自らが生徒のように不思議に思い、振る舞うことで、生徒の中の教師の部分を活性化させ、一時的に教師と生徒があたかも入れ替わったかのような現象が起こります。これは、深いレベルでの教育や治療に携わったことがある人であれば経験があると思いますし、脳科学的にも事実ですし、非常に多く世界中で報告されています。こうれを、ー傷ついた癒し手ー、と呼ぶわけです。深い共感が生まれ、お互いのそれまで眠っていた部分が活性化され、患者の身体は直そうとし、生徒の心は学ぼうとするわけです。これは治療の、そして教育の本質中の本質です。

●最近の「医者ー患者」「教師ー生徒」モデルの限界

ところが近代になり、教師は生徒にものを教えてやっているとか、医者は患者に対して病気を治してあげているといった、完全無欠な者と無知な者との対比が出来上がりました。これは部分的にはうまくいきます。例えば医療であれば、急性の感染症や、外科手術を必要とするような怪我、といった軍事医学や西洋医学が得意とする分野においては効果をあげました。また教育においても、偏差値を3上げるとか、寮生活などの極端なスパルタ教育、資格試験の追い込み勉強とか、センター試験の最後の確認においては強力な効果を発揮します。

ところがそうでない部分については、どうにもうまくいかないことが判明しています。生活習慣病や、心が関係している病や、身体全体が連関している種類の疾患については、完全無欠な治療者と、だめな患者と言うモデルでは、どうしてもうまくいきません。メイヨークリニックやボストン総合病院のようなアメリカを代表する医療機関でも、うまくいかないものはうまくいきません(そういうところだからこそ患者さんを下に見てしまって、効果が上がらない面があります)。

教育においても同様です。そもそもお子さん本人が勉強しようと思っていないとか、怠け癖があるとか、勉強しようとするとため息が漏れてしまうといったケースは、そもそもの方法論が完全に間違っているので、完全無欠な癒し手のモデルは使えません。

ところが教師には、偏差値70で、学費を払って日本の大学に何とか受かった程度でも、賢い自分が賢くない人に教えてあげていると勘違いしている教師も多く、そのため生徒との間にラポール(英語読みをするかフランス語を読みをするかですが、ラポートとも言います、raport)が構築されません。医療は半分は身体活動ですが、学びの行為はほとんどが精神活動なので、医療以上に教育においては、このようなモデルでは結果が出ません。その結果、偏差値 35をとってしまう生徒が、全く偏差値が上がらないといった事態が生じてしまいます(本当は偏差値35は1番伸びやすいはずです!)。

こうした際には、教師が、成績がそこそこ高く、いわゆる一流大学に通っている事は、むしろマイナスになりかねません。そこに保護者さんが加担してしまう場合もあり、一緒になって生徒を責めても、変わる事はありません。

生徒の心理というか青少年の心理として、基本的に大人は一体として見られます。ですから、例えば家庭教師の後に家庭教師の先生が保護者さんに毎回15分報告すると、生徒からすると、それだけで、「あの人たちはつながっているから、うかうか何も言えないな」と思われてしまうわけです。もちろんそういう時にも、力ずくで毎週2時間3時間勉強させると言うやり方はあるのですが、これは例えるに、タバコとお酒を止められずに満身創痍の患者さんに、家族と医者が一緒になって説教しても、何も変わらないのと同じ状況です。

こういう時に取られる方法の1つは、生徒の中に存在する教師の部分を活性化させる前に、教師の中に存在している生徒の部分を活性化させることです。そうすることで転移、逆転移、投影的同一化が行われ、同じ要素が生徒さんに移ります。(2人きりの、信頼関係が存在している場であると言うのが前提ですが)

外国でも取られる方法ですが、こういうときには、完璧な予習をして教師が臨むよりも、教師はその場でうなりながら一生懸命考え、できれば生徒の力を借りて一緒に問題にその場で取り組んで、間違いながらでも何とか答えにたどり着くをとするのが非常に良い方法です。そうすることで、完全無欠な教師のモデルが崩れ、生徒の中の、学びの部分が急速に活性化されます。

予習復習は確かに大切なのですが、例えば野球部やサッカー部で毎日がんばっている生徒さんに、しかもその生徒さんの偏差値がとても低い場合に、事前に完璧に準備することを期待するのはなかなか難しいことです。その時には、時間はかかってしまいますが、教師も、間違えることを覚悟でそこで初めて問題に取り組むと言う方法が有効です。それを演じることもできない事は無いのですが、ほとんどの場合はバレます。

そもそも、宿題にして、覚えるところたくさん書き留めると言う事は、その場で覚えなくてもいいと言うメッセージになりますので、その場での記憶は急速に低下します。ですから、2時間なら2時間を最も有効に使うには、「これを次回までに覚えておいてね」よりも、「今一緒にこれを覚えようか」の方が良いわけです。復習については、「今一緒にやった時間を、思い出しておいてね」といった形で、濃密な2時間を追跡させると言うやり方の方が、記憶そのものには強く訴えかけます。ドラマや、自分が出場した試合の流れを、思い出すのと同じ作業ですね。もちろんこうしたやり方をするには、教師の側に、プロセスをさらけ出す力が必要ですし、保護者さんがそれを見守らなければいけませんし、何よりも生徒が没入(真剣になる)することがとても大切です。ですから、これについては、下手な人はできません(アメリカでも、教師が生徒の役割をしたり、スーパーバイザーが教師を長年かけて指導する位です)。

思い出すと、僕が東大で学んでいた頃は、完全無欠な偉い先生方が、知識を授けてくださっていると言う感じでした。私が本当に勉強を楽しんだのは、ハーバード大学での経験ですが、例えばハーバードの教育学部のElizabeth City 教授は、学生や研究者の強の学びの部分を活性化、activate させる見事な癒し手でした。

アメリカにボルチモアと言うところがありますよね。ここは青少年が荒れに荒れていて、殺人も最悪で、日本のどこにも存在しない位の大変な状況でした(生徒の大半は黒人さんです)。政府も見捨て、教師も根付かなかったので、我がハーバード大が引き受けました。教育学部とビジネススクールが、全面的にシティの再建に取り組んだわけです。ボルチモアのCEOにAndre Alonso教授が就任し、本当に見事な実績を残しました。今でも、ハーバードビジネススクールやその他の学部や大学院で、ケーススタディとして非常に頻繁に使われています。Alonso教授は僕も大変よくしてもらい、大変尊敬していますが、もともとキューバからの移民で、写真1枚だけでキューバから合衆国に移ってきて、その後ハーバードで教育者、法律家としての道をたどったので、まさに黒人青少年たちにとっては、傷ついた癒し手だったわけです。

もちろん、アメリカの教育やアメリカの医療は問題が非常に多く、日本よりも識字率が低く青少年の犯罪率が高く、平均寿命は短く、といった問題が山積しています。ただそれでも、古いやり方の限界に気がついて、全面的なチェンジを図っていると言う点では、なかなかのものですよ。

ですので、偏差値が高い生徒さんではなく、どうしても勉強と言うものに全く身が入らない種類のお子さんをお持ちの保護者は、いちどこの、wounded healer model = 傷ついた癒し手元型、と言うものを考えてみられても良いのではないかと思います。

お読みいただいてありがとうございました。保護者さんの方で何か疑問などありましたら、ご遠慮なくご相談くださいね。